先日、ある女性と会いました。相変わらず笑顔が素敵な人で、楽しく会話し、最後に握手をして別れました。
そして、その数日後、彼女は自ら命を絶ちました。
訃報を知った時、本当に時間が止まったような感覚になりました。
私からすれば、若くて可愛らしく、愛想もよくて、いつも元気でニコニコしていて、まだまだ輝かしい未来が待っている女性でした。
後で知った話では、過去に心無い誹謗中傷や私生活でのトラブル等が原因でうつ病を発病し、治療を開始して状態は回復傾向にあったようです。
彼女自身が許せなかったのかも
きっと彼女に近しい人たちは、全力で助けようとしていたはずです。でも、もしかすると、そのような病気になってしまったことに、彼女自身が許せなかったのかも知れません。
以前、うつ病は気持ち(心)の問題ではなく「脳の病」と聞きました。メンタルの強い弱いに関係なく、環境や人間関係による過度のストレスなどが複雑に絡み合い、脳機能のバランスが崩れるために起こるようです。
また、真面目で責任感が強く、人当たりも良い、周囲の評価が高い人に多いと言われています。このようなタイプの人は自分の許容量を超えて頑張り過ぎたり、ストレスを溜め込んでしまうため、うつ病を発病する確率が高いようです。
真面目で責任感が強く、頑張り屋さん、彼女はまさにそのタイプだったと思います。
言葉から逃げる
彼女の死の動機について、残念ながら私には想像もつきません。数日間に何があって、何が引き金になったのか…
あの時すでに、人生に悲観し、すべてを終わらせたいほど疲れ切っていたのかも知れません…
生きていると辛いこともたくさん経験します。抱えきれない出来事が突然襲ってきて、追い込まれることもあります。うまく忘れられることもあるけれど、何年も何年も心の中に残ってしまうこともあります。
悪口・陰口、時に人は他人に対して攻撃的な言葉を平気で口にします。
こちらに悪意が無くても、少しの言葉足らずが原因で、相手に想像もしていない受け取り方をされる場合もあります。
人を傷つける言葉は無限にあって、その中で生きているんだと、私たちはもっと意識する必要があるのかもしれません。
言葉は怖いです。形はないけれど、人を一瞬で傷つけるし、そして殺す力があります。
でも、言葉なんかに負けないで欲しかったと思います。
他人の無責任な言葉の攻撃を受け止めないで、逃げて欲しかった。それは決して恥ずかしいことじゃないし、相手にすべきじゃない。誰に何を言われたとしても、絶対に味方はいます。
彼女は本当に真面目だったから、悪意のある言葉にも逃げずに受け止めたのかもしれません。
でも、言葉の発信者は相手の事を考えず、平気で悪意を投げつけて傷つけようとする。
悪意のある言葉は、とにかく無視をする。
「面と向かって発言する勇気がない人の言葉なんて、自分の人生には無関係だ!」とどんどん無視をする。きっとそれが、命を守るために大切なスキルなんだと思います。
無責任な言葉で自分を傷つけないで、「自分の人生」を生きることに集中する。そうすれば、彼女はきっと素晴らしい人生を歩んでいけるはずだったと私は思います。
もっと自分を愛して欲しかった
亡くなる前に見た彼女の眼は、私にはとても輝いて見えました。
今思えば、その日に与えられた限りある力を1日1日全力で使い切るように頑張ることで、自分1人で何かを切り開こうとしていたのかもしれません。
それが彼女の強さであり、弱さでもあったんだと思います。そして、強いからこそ深く傷ついたんだと思います…
彼女は自分のおかれた立場、周囲に迷惑を掛けない責任感と優しさで、無理に無理を重ねて平気を装っていたはずです。
見た目は平気そうだけど、中はボロボロに壊れてる。
回復させる時間も十分に取らずに、自分を偽って頑張る。
本当は辛いのに、辛くないふりをする。
それが彼女にとってどれほど大きな負担だったか…考えるだけで悲しくなります。
早く元の自分に戻りたいと彼女が一番願っていたと思います。そして、なかなか上手くいかない自分を彼女が一番許せなかったんだと思います。
彼女が「自ら命を絶つ」ことを選択し、計り知れない辛さから解放されたのであれば、尊重したいと思う部分もあるし、その選択だけは絶対にしてほしくなかったとも思います…
ただ1つだけ彼女に言えなら「もっと自分を愛して欲しかった」ということです。それほど、彼女を愛する人もたくさんいたはずなんです。
もう無理にがんばる必要もありません。今は、どうか安らかにゆっくりと休んでください。
本当におつかれさま。
今までありがとう。