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人生の半分が過ぎた

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喪主の奥様(以下Aさん)と葬儀場内でお話していた時に、Aさんからふと出た言葉

「私も人生の半分が過ぎましたから…」

Aさんが40歳代半ば~50歳代であれば、あまり驚く言葉ではありませんが

Aさんはまだ35歳

一瞬驚いたと同時に、その言葉の意味を知りたい気持ちが抑えきれず、気が付いたら質問をしていました。

自分の人生に対する考え方は、もちろんお一人おひとり異なります。日々の生活に集中で、深く考えることも少ない。でも、それはある意味「幸せ」なことかもしれません。

今回は、Aさんとの会話で新しい考え方というか感覚というか、そんなものに出会ったお話です。

「人生の半分が過ぎた」の意味

35歳にも関わらず「人生の半分が過ぎた…」の言葉の理由は、Aさんのお母様にありました。

数年前、Aさんのお母様は62歳の若さで急にお亡くなりになりました。ご家族全員まったく予期していなかったので、深い悲しみに包まれたのは当然ですが、あまりに急なことで呆然とし、何もやる気がおきない状態が長く続いたそうです。

月日が経ち、気持ちが落ち着く時間が少しずつ長くなりました。そしてある時

「私の人生も母と同じくらいだとしたら…」

と思い浮かんだそうです。特別なきっかけもなく、自然と頭の中にポンッと出てきた感じ。

でも、それは決して焦りや悲観的な感情ではなく、「62の半分で31。折り返し地点を過ぎたんだ…」と簡単な算数のような感じだったそうです。

「自分の最期を意識する」のはマイナスのことじゃない

もちろん、「62歳」は根拠のない指標ですが、それを意識することで不思議と頭の中・気持ちが整理されたらしいです。Aさん自身もうまく説明ができないみたいですが、「思考がシンプルになった」そんな感じだそうです。

  • 62歳を1つの指標として残りの人生をどう生きようか?
  • 何を最優先にやりたい、やるべきか?

大きな目標を決めて、どんどん進めていく。今までは小さなことが気になる性格だったみたいですが、あまり気にならなくなったそうです。

個人的には、Aさんの人生が62歳で終わりを迎えるとはまったく思っていませんが、「自分の最期を意識する」ことって決してマイナスなことじゃないと思いました。

悲しい経験が、ある面でプラスになることも

Aさんは、毎日62という数字を意識しているわけではなく【時々、頭の中に現れる程度】と言っていました。思い浮かぶたびに、自分がリセットされる感覚があるそうです。

お母様との別れは悲しく辛かったですが、「思考がシンプルになった自分」が結構好きで生きるのが楽なようです。そして、そのきっかけを与えてくれたお母様に感謝していると。

大切な人との別れはとても悲しいです。できれば経験したくはないですが、必ず別れの日は訪れます。

悲しみは小さくなってもゼロにはなりませんが、それをきっかけに何かを感じたり、教えられたり、Aさんの様にある面でプラスに働くこともきっとあると思います。

人によっては、悲しみが大きすぎて歩みを止めてしまう場合もあります。でも、少しずつ小さくなって、その悲しみと一緒に再び歩みを進められる日は必ず訪れます。

ありふれた普段の生活が、とても幸せ

残りの人生、やりたいこと…と考えていたら、ふと目に入ったパソコンの「アップル」マーク。

元アップル社CEOのスティーブ・ジョブズさん、彼も若くして亡くなり、色々な言葉を残しています。

  • 終着点は重要じゃない。旅の途中でどれだけ楽しいことをやり遂げているか、そちらの方が大事なんだ。
  • 自分はいつかは死ぬという事実を覚えておくことは、自分には失うものがあるという考えを避けるのに最良の方法である。
  • 最も大事なのは、自分の心と直観に従う勇気を持つことだ。
  • 毎日を人生最後の日だと思って生きれば、いつか必ずその日は来るだろう。
Steve Jobs (スティーブ・ジョブズ) :アップル社の元CEO

最後の「毎日を人生最後の日だと思って…」はちょっと極端な言葉かもしれませんが、1日1日を大切にということですね。でも、「1日1日を大切に」と意識するのも結構むずかしいです。

すこし話がそれますが、以前あるお坊さんと話した際におっしゃっていた言葉

困った時に宗教(仏の教え)が必要になるんです。極端に言えば、困っていなければ宗教は必要ないんです。

困ったり、苦しんだり、病気になった時に “ありふれた普段の生活” がとても幸せだったと実感する。確かにそうですね。健康で平和な日々、それが不安なく続いている間は、ありふれた1日の大切さって忘れがちです。

Aさんには「もっと母と話したかった」と後悔している部分がありました。突然お亡くなりになったので、特にその気持ちは分かります。

でも、「◯◯しておけば良かった」と思うことは、誰もが1つや2つ必ずあります。それは、仕方がない事だと思います。

時々ぼんやりと考える

35歳で人生の半分を過ぎた… そんな時間軸は私の中ではありませんでした。そして、それを時々意識することで、頭が整理されてリセットされる感覚。人間って不思議ですね。

Aさんとの会話は私にとって良い経験になりました。人生はいつ終わるかは誰にもわかりません。分からないから楽しいし、悲しい… なら、できる限り良いものにしたい。

Aさんの様に「人生の終わり」を仮定して、逆算でやりたいこと(やるべきこと)をシンプルに計画するのも人生を豊かに過ごす方法の1つかもしれません。

もし「仮定した終わり」に到達した場合は、次の「新しい終わり」を仮定する。それの繰り返し。

人生について深く考える機会も少ないですが、Aさんが「時々62という数字が浮かぶ」のと同じように、時々ぼんやりと考えるのも良いのかもしれませんね。

後で「肯定できたら」それで人生は合格点

人生を振り返ると、「自分が選択したものが間違いだった(かも)…」と思うことは、きっと誰もがあると思います。

でも、色々な出会いや経験を重ねて、過去の選択が肯定できるような未来になっていれば、人生は合格点のような気がします。きっとそのために、1日1日を大切にすることが重要なんだと思います。

毎日全力は無理ですが、朝に「今日も1日がんばろう!」、就寝前に「今日も1日がんばった!」と思えたら、とりあえず合格点ではないでしょうか。